プロフィール最終更新日:
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こんにちわ!!
バスケをしたり
でもこの華やかな生活というのは
というのも、
ぼくは高校3年生の時7月まで
部活をやっており
その段階では大学受験なんて
まだ実感のわかない世界でした。
「本当に受験なんかするのかなぁ」
そんな気持ちで過ごしてました。
成績に関していうと
可もなく不可もないような成績でした。
部活に打ち込むようになりました。
それまで
”週に3日,朝5時半に起きてバスケ”
そんな新しい生活が
組み込まれていきました。
そこそこの成績をとっていたので
「高校でも同じ要領でいけるだろう」
と思ってました。
けれど現実はそんな甘くありません。
朝練が6時30分に始まると
8時40分からは授業。
早起きをし
”集中して授業を聞け”
という方が無理な話です。笑
もちろん授業は起きているはずもなく
全授業爆睡。
そして
家に帰る頃にはすでに夜の9時。
11時くらいまで観る。
そのままお風呂に入り、出たら
翌日の朝練にそなえて
ベッドに飛び込み、ひたすら寝る。
授業の復習や宿題
なんかやっている暇などもちろんありません。
それ以前に授業を
まともに聞いてないので
復習のしようがないのです。
そんな生活を送っているうちに
みるみる成績は下がっていき
それまでクラスで真ん中くらいの成績が
その頃のぼくは
部活に夢中になっており
大学受験に関しては
とまでしか思っていませんでした。
親にも成績に関しては
成績のいい教科だけ強調して見せたり
悪知恵を働かせて
怒られないようにしのいでいました。
「なんで将来使わない勉強なんかするんだろう」
とも思ってたので
なかなか勉強する気になりません。
「宿題もやらないのが当たり前」
「先生の話は聞き流すのが当たり前」
「起きている授業はふざけ倒す」
そんな不真面目な生徒だったのです。
前日の一夜漬けで最低限の点数を取り
また部活に打ち込む
という日々に明け暮れていました。
というわけでそんな生活が
依然として悪いまま。
一応予備校には通っていたのですが
残り5ヶ月という期間で
ぼくの低い学力は伸びることもなく
結果は全敗
重い現実を突きつけられました。
ボロボロにやられました。
数日間さいなまれました。
浪人が決まった瞬間
その二日後が卒業式だったのですが
とても苦しかったのを
今でも鮮明に覚えています。
「浪人はお前が思ってる以上に辛いぞ、頑張れ」
といった激励の言葉も
ぼくにとっては
そして4月になって
予備校に入り
予備校生活は
とても味気なく淡白なもので
それまで学校に行って
予備校では
会話の「か」の字もありません。
朝起きて予備校に行き
ただひたすら机に向かって
予備校では
そんな生活が当たり前なのです。
きっちり固めていたので
それまでぼくは長期間
まともに授業を聞いたことがなかったし
なんせ不真面目な人間だったので
はじめのうちはかなり苦労しました。
しかし
びっくりするくらいわかりやすくて
”勉強の楽しさ”
というものを初めて
わかったような気がしました。
それまでの自分では
絶対に考えられないことです。
数学というのは
突き詰めれば暗記という作業はなく
「自然と体に身につく」
という感覚でした。
まるでスポーツと一緒だなと思えて
もちろん集中できず
かなり手こずることもあったのですが
毎日やっているうちに習慣となり
勉強するのが ’当たり前’
の領域までたどり着きました。
だんだん上がって
模試でいうと
まあまあ解けるくらいにまでなりました。
他の教科も伸びたのですが
数学の力がついてくると
問題がスラスラ解ける
ので本当に楽しいです。
7月の模試には
60代にまで上がり
では、なぜあの不真面目なぼくが
その理由とは
そして継続すればするほど
なんたってあの勉強嫌いなぼくでも
出来たのですから笑
を安定して取れるラインにまでなり
他の教科も一年間かけて
現役時代落ちた
全て合格することができました!!
センター本番140点
くらいの実力だったので
数学無しでは
今では冒頭でも述べたように
大学というのは
あの不真面目なぼくが変われたのです。
あなたが変われないはずがありません。
さぁ次に変わるのはあなたです。
一緒につかみ取りに行きましょう!!
最後まで読んで頂き
誠にありがとうございました
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