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医療的な見地からも私は肥満だそうです。

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医療的な見地からも私は肥満だそうです。

自己紹介

ようこそこのブログへ!

愛されたいと言う人には反吐が出る思いを感じていたが、なんとなくだがその気持ちがわかってきた。けどそれって他人を見ていない態度だよね。





見せずに見せる。結局のところ自信がないということなのでしょうか。


人に聞かれた場合ぱっとでるように。

・好きな食べ物

・嫌いな食べ物










以前のタイトル

苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり(2003/10/05~?)かわいそうなオトコノコ(?~?)かわいそうなオトコノコ シンセサイザー勉強編(?~2005/12/01)うんこ(2005/12/01~2005/12/06)かわいそうなオトコノコとエコーマシン(2005/12/06~2005/12/31)

以前の寝言ポエム

音に、あの音になりたい。(~2005/12/01)最近やっていることはエコーマシン残留ノイズつまみをいじって操ることです。(2005/12/01~2005/12/06)ブログヌルくむれあってる奴らは死ね←僕のことです。(2005/12/06~2005/12/31)どうか、どうか、どうか(2005/12/31~2006/04/19)著者近影。さ~きほこる~みた~いに~♪(2006/04/19~2006/12/02)





さぁ、好きなだけ僕たちの大好きな「非モテ」に置き換えてみよう!

自分の生まれ育った街で起きた新しいムーヴメントを知ったときラリーハード気持ちをぼくらは推しはかることができる。それは、人生の中で見つけた砂粒ほどの楽しみだったのだ。ぼくがハード取材したときにも彼は執拗に繰り返し言ったものだった。「これは金や名誉のためにやったことではないんだ」と。

 反逆するにはこの世界はあまりにも大きくて、複雑だ。が、だからといって世界に服従できない者は、心の奥深いところで感じることを感じ、そのフィーリングを頼りに歩いていくしかない。

野田務 『ブラックマシンミュージック』、2001年、p.129。

 シカゴアンダーグラウンドパーティなかにデリック・メイ見出した"音楽未来"とはこのことだった。「アメリカにはつねにふたつの階級対立があるんだ」メイは彼の経験してきた"アメリカ"を次のように話す。「スマートなひととゲスなひと。金持ち貧乏。白人と有色人種弱者強者。そしてそこではつねに嫉妬や足の引っ張り合いがある。とくに黒人コミュニティではこの五〇年間はそうだった。五〇年代黒人がしっかりとした教育を受けることは同時に黒人コミュニティからも快く思われないことでもあった。黒人黒人同士で傷つけ合い、弱い物同士がいがみ合い、そして黒人コミュニティにはつねに犯罪があり続ける。どうしてそうなってしまうのか、そのことを理解しようとする努力があまりにも欠けていた。だから単純に、多くの黒人向上心は髪の毛をストレートにしたり、白人社会迎合したりすることでしか果たせないものになっていたし、あるいはまったくその逆で白人と敵対することでしか自分を保てなくなってしまうひともいた。それでは、つねに誰かが悲しむことになるんだ。おれはそんな世界は望まない。

 例えばイギリスのDJにカールコックスがいる。彼はまさにイギリスの白人社会で成功した黒人DJだ。でも多くの黒人カールコックス非難する。『やつは媚びている。白いケツの穴にキスしやがって』とみんなは言う。おれはそうは思わない。何故、カールカールとして見てあげないのだろう。何故、カールをひとりの人間として評価しないのだろう。彼は彼自身の実力があって、人気DJになった。ただ、それだけのことなのに。もちろん音楽の考え方はおれとカールとでは違う。でも、音楽問題人種問題すり替えることは、ときには暴力的なことでもあるんだ。

 もちろん白人社会に媚びることがいいことだとは全然思わないよ。アメリカに住んでいると特にそういうことに敏感になってしまう。アメリカに住んでいるのは白人と黒人だけではない。アジア系だってずいぶん住んでいる。例えばデトロイト郊外には日本人コミュニティがある。彼らはまるで白人のように振る舞い、自分たちを白人だと思っている。誰の目からみても白人ではないのに、自分たちは白人と同等だと思い込んでいる。それは全くバカげている。白いケツの穴にキスするつもりかい? 違うだろう。何故ならそれは、『白人社会がやっぱクールだぜ』と言っているようなものだろ。そうではなく、何故ひとは自分自身でいられないのだろう」

野田務 『ブラックマシンミュージック』、2001年、pp.257-260。

 江藤は「アメリカ」の象徴であるロックフェラー財団夫人医療費を支払わせるという闘いに勝利する。

 しか旅行先で病気になった夫人治療を受けさせるための悪戦苦闘記述するこの章が「適者生存」と題されていることが何より象徴的なように、江藤は「負けない」ためにダーウィニズム的競争原理という「米国社会の内側」の処世をその過程でみにつけざるを得ないのである。それはまさに「負け組であることの確認だったとはいえまいか。あるいは加藤典洋が指摘した「アメリカの影」に屈服する手続きのようにも思える。だからこそ江藤はやがて有吉らの名をあげることで自らを支配する「アメリカの影」の所在自己言及せざるを得なかったのではなかったか

大塚英志 『サブカルチャー文学論』、2004年、p.477。

 人生経験が少ないせいで、自分はずっと死なないと、つい考えてしまう。人の命がわずかになってしまうなんて、ありそうにない。なにかがそのうち起こると、いやでも考える。とんでもない間違えだ。ある人生空っぽで短いということは十分にありうる。日々が空しく過ぎ去っていく。痕跡も思い出も残さない。それから突然、停止する。

 ときどき、このままこれという生き甲斐もなく生き永らえることもできると、思うこともあった。退屈には比較的痛みもないし、日常の営みに支障を来たすことはあるまいと思うこともあった。またしても間違いだ。退屈というものは長引くと、退屈のままではいられなくなる。それは遅かれ早かれ、よりはっきりとした痛み、確固たる痛みの感覚に変わる。それがまさに今、僕に訪れつつある。

ミシェル・ウエルベック 『闘争領域の拡大』、2004年、p.54。

僕らの社会においてセックスは、金銭とはまったく別の、もうひとつ差異システムなのだ。そして金銭に劣らず、冷酷な差異システムとして機能する。そもそも金銭システムセックスシステム、それぞれの効果はきわめて厳密に相対応する。経済自由主義ブレーキがかからないのと同様に、そしていくつかの類似した原因により、セックス自由化は「絶対的貧困化」という現象を生む。何割かの人間毎日セックスをする。何割かの人間人生で五、六度セックスをする。そして一度もセックスしない人間がいる。何割かの人間は何十人もの女性セックスする。何割かの人間は誰ともセックスしない。これがいわゆる「市場法則である解雇禁止された経済システムにおいてなら、みんながまあなんとか自分の居場所を見つけられる。不貞禁止されたセックスシステムにおいてなら、みんながまあなんとかベッドでのパートナーを見つけられる。完全に自由経済システムになると、何割かの人間は大きな富を蓄積し、何割かの人間失業貧困から抜け出せない。完全に自由セックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間マスターベーション孤独だけの毎日を送る。経済自由化とは、すなわち闘争領域の拡大である。それはあらゆる世代、あらゆる階層に向けて拡大している。同様に、セックス自由化は、すなわち闘争領域の拡大である。それはあらゆる世代、あらゆる階層に向けて拡大している。ラファエルティスランは、経済面に置いては勝者の側に、セックス面においては敗者の側に属している。何割かの人間はその両方で勝利し、何割かの人間はその両方で敗北する。企業は何割かの大学卒業者を取り合う。女性は何割かの若い男性を取り合う。男性は何割かの若い女性を取り合う。混乱、動乱、著しい。

ミシェル・ウエルベック 『闘争領域の拡大』、2004年、pp.111-112。

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こんな綺麗なところにいったんだけど、思い出すのはひとつのこと。旅先で出会った人に「1人で旅行ですか?」と聞いたら、「1人でもするし、彼女ともするし、友だちともする」という答えが返ってきた。1人でさびしいと思われることに拒絶感があるのかな、と思ったが、同時に俺にはこれだけ選択肢があるということを強調したいのかなとも思った。そう僕には選択肢がない。There is no other way.ただ非モテという道だけがあった。

デトロイト・テクノを語る際に必ず持ち出されるデリック・メイの有名な言葉、「デトロイト音楽はいわばアクシデントである。それはクラフト・ワークとジョージ・クリントンを同じエレヴェーターに詰めたようなものなんだ」このアクシデントを用意したのがモジョだった。

野田務 『ブラックマシンミュージック』、2001年、pp.198-199。

 そしてここでもイーノは、クラフトワークの「奇妙で堅苦しい」電子音楽と、パーラメントの「超現実的な肉体感覚」を合体させるという夢を語っている。「この二つを一緒にして、『レコードを作れ』って命令したいな。」

エリック・タム 『ブライアン・イーノ』、1994年、pp.68。








経験則として知り合いが言っていたこ

その場で働いている人の勤務時間の平均が通常の1.6倍を超え始めるとさすがに限界







大塚英志の弟たちっていうフレーズはもうだれか言ってるよね?

やっぱ最終的に

会社の先輩のような人と相容れられない理由は、私は楽しむべきときに楽しみ、やることをやるべきときにやった。成熟した人間なのだって言うのを言外のうちにビンビンに感じるからだと思う。さんざん迷惑をかけておいてなんですが。恋愛するにはもう若くないですよね、という言葉事実であるにせよ深く傷ついた。まあ俺もその人の年齢をいじってるところがあるんだけどね

2006年12月29日を忘れない

いいとこ半分、いやなとこ半分というところ。