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HAKKKKKAAAAISAAAAAANNNNNNNNN!!!!!!!
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「サバの味噌煮」は、獨協大学内でのイベント出演等を中心にDJパフォーマンスと映像作品制作、インターネットラジオの配信などを行っている音楽団体です。
MEMBERS
※LEADER※
<OTHER MEMBER>
Lobotomy (Dub)
Yuri (Electro)
SABAMISO SUPPORTERS
桧山悠<DJ Visual Wide.> (Electronica, Techno - PowerBook DJ) - ORRIGINATOR
.Kota (Upper Laid-Back)
留学生ムカチャッパ (Rock, Oldies, Shinada)
阿久津(Special Inspiration???)
haL (Trance,Tech Dance,Techno,Progressive,Electro)
MC Santa (D.A.T.E.)
==結成前夜==
2000年:.Kotaが"Korex"名義で音楽活動開始
2004年1月:.Kotaが音楽チーム、N.Y.S. ENTERPRISESを結成。
2004年4月:DBCクラブDJプロダクションにムカチャッパが加入
==2004年==
2004年6月:.KotaがDBCに加入。DBCクラブDJプロダクションのリニューアル形として、桧山悠を中心に結成。オリジナルメンバーは、桧山、ムカチャ、.Kota。DBCイベントにてお披露目。
2004年8月:.KotaのN.Y.S. ENTERPRISESが活動開始。ネットラジオ配信でスタート。
2004年10月:獨協大学雄飛祭に出展。様々な珍事件が起こり、「酒井は汐留スタイル」が、爆発的ブームを博す。
2004年11月:シェリーズ主催「夕暮れサイケビート」サポートDJを務める。また、ネットラジオ事業を開始。第一弾として、「サンパウロのハレ女」が配信される。
2004年12月:無声映画+オリジナル楽曲という異系な映像作品、「サイレントは、地球を救う」を発表。サンプラーCD「THE WORLD IS MIXED」配布。お笑いプロダクション始動、阿久津プロデュースで映像作品公開。.Kotaプロデュースによる、OWA-PRO CDも登場。
==2005年==
2005年2月:「サイレントは、地球を救う」のリミックス版が、吉祥寺にて公開され、ムカチャッパが出席。しかし、.KotaはBrian Wilsonの追っかけで名古屋へ逃亡、桧山はバイトの為に欠席する。
2005年3月:サンプラーCD「COME SOMEBODY」制作/配布。
2005年4月:DJイベント「青空DJ」開催。桧山によるエレクトロニカ、.KotaによるハウスのDJが披露される。Hondaが加入。
2005年5月:snake、テーフが加入。
2005年6月:無声映画第二弾「スリー」公開。賛否両論を巻き起こす。
2005年8月:DBC40周年記念イベント開催。.Kotaが記念楽曲"Our Small House"を発表。桧山とsnakeがDJ出演。
2005年9月:.Kotaを中心に、NHKコンテストのアナウンス作品へ、楽曲提供。Honda脱退。
2005年11月:獨協大学雄飛祭にて、「青空DJ」、「DJ & Laptop Session」を開催。「青空DJ」は、50人を超える観客を呼ぶ成功をおさめる。さらに、DBCイベントにて.Kotaがパフォーマンス作品「i」を出品、宅朗家がPV「Odd」を出品し、品田がイベント・プロデュースをするなどして活躍。イベントでは、全メンバーによる、それぞれのDJ。そして、桧山と.Kotaの、スペシャル・セッションが繰り広げられ、高い評価を得る。
2005年12月:Dates FM主催のFreeTEMPO "Universe Song"のリミックスコンテストに出品。Snake、宅朗家が期間満了引退。.Kotaが活動から本格的に引退。。テーフが、サバミソ代表に就任。お笑いプロダクションが再始動。阿久津による映像作品、.Kotaと高橋慎によるOwa-Pro CD第二弾(2枚組)が登場。
===2006年===
2006年1月:一戦離脱した.Kotaがソロ・アルバム制作開始、桧山がソロ公演事業を開始。snakeも単独による音楽制作に乗り出す。
2006年2月:.Kotaプロデュースで、テーフ/ムカチャ/.KotaのDJレコーディング。さらに、DBC内の他プロによる作品もプロデュースする。
2006年3月:snake、阿久津が大学卒業。テーフ/ムカチャが新メンバー獲得を模索する中、.Kotaはエコ・ツーリズムを学びにハワイへ遠征。
2006年4月:1年ぶりの「青空DJ」が行われる。テーフと.Kotaが出演。新メンバーとして、haLが加入する。
2006年5月:.Kotaがsnake、桧山悠、吉田英人、VALとともにパフォーマンス・フィルムを制作開始。サバミソとしても、新曲「Wave」のレコーディングを開始。
2006年6月:新曲「Wave」と.Kotaの「Someday, Somewhere, Somehow」が公開される。番組発表会にて、ムカチャ/テーフによるDJ公演も行われる。
2006年10月:獨協大学のオープンキャンパスでDJ公演、haLとムカチャが出演。
2006年11月:雄飛祭にてDJ公演。主な参加メンバーは、テーフ/haL/ムカチャの3人。.KOTAと桧山悠も一部日程のみ特別参加。
2006年12月:サバの味噌煮での初パフォーマンス「FLUX」を行い、好評を博す。「FLUX」には、新旧サバミソメンバー全員が参加した。番組発表会のDJにて、テーフ/ムカチャ/.Kota/haLの4人が出演。テーフとムカチャッパが引退。.Kotaも完全引退。
==2007年==
2007年1月:英語学科教授からのオファーを受け「FLUX」の追加公演が行われる。
2007年4月:LobotomyとMore@uが新メンバーに加入。
2007年6月:haLが映像作品に生でクラブDJパフォーマンスを行う試みで、作品公開。
2007年11月:雄飛祭DJ公演。haL、More@u、Lobotomyに加え、特別ゲストとしてムカチャッパが参加。
2007年12月:サバの味噌煮でのパフォーマンス第二弾「FUSION」を発表。haLがプロデュース、MELTING POTを監修/制作指揮に迎える。haL、Lobotomy、More@uの3人による演奏が行われる。.KOTAがプロデュースし、haLと桧山悠(DJ Visual Wide.名義)が参加した"2kai FM Capriccio"が配信され、世界的に好評を博す。
==2008年==
2008年3月:テーフとムカチャッパが獨協大学を離れる。.KOTAが離日、活動の拠点をカリフォルニアへ移す。
2008年4月:Yuriが加入。
2008年9月:haLが外部DJ活動を開始。.KOTAが帰国。.KOTAがクリエイティヴ・ディレクションを担当しながら、サバの味噌煮としての新作の制作開始。
2008年12月:獨協大学が新設する外国語学部交流文化学科のコマーシャル映像のクリエイティヴ・ディレクションを.KOTA、MORE@UとLobotomyが担当。新曲"ACROSS THE UNIVERSITY"を提供する。12月21日、サバの味噌煮としては一年ぶりの新曲+コンサート企画となる、パフォーマンス第三弾「HAKKAISAN!!」の公演が行われる。
==2009年==
2009年2月:「HAKKAISAN!!」のライヴ映像と音源が発表される。Lobotomy、More@u、Yuriが制作参加したテレビ番組「@キャンパス」が放映される。.KOTAとhaLが交流文化学科へ第二弾の新曲を提供。
2009年3月:.KOTAが獨協を離れる。
2009年8月:.KOTAが2kai Productionsを設立。haLとLobotomyとmore@uもメンバー参加し、イベントにはムカチャッパ改め肩甲骨とDJ snakeが参加。
2009年11月:2kai Productionsによるパーティーが予定。