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現在、悪性リンパ腫(血液ガン)を寛解中で自身の経験を皆さんに役立てて頂く為に情報発信を行なっています!

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現在悪性リンパ腫(血液ガン)を寛解中で自身経験を皆さんに役立てて頂く為に情報発信を行なっています

Self introduction

大分県宇佐市出身です。



幼少期は身体が弱く、小児喘息

患っていました。




小学3年生から父親の影響で

野球を始め、また身体を鍛える為

水泳も始めました。




その後1年ほどで小児喘息が治り、

心肺機能が高まったお陰で

小学校6年時はマラソン大会

区間賞を取るまでになりました。




その後水泳こそ辞めて

しまいましたが、野球は上達し

小学校6年時に4番キャッチャー

大会に出場し大分県4位になり、

西日本大会にも出場しました。




中学硬式野球チームの宇佐ボーイズ所属

1年間所しましたが軟骨骨折と診断されて

膝を手術した結果、満足に練習が出来ず

また当時所属していた硬式野球チームが

週3日しか練習がなかった為、リハビリをしながら

毎日野球に携わりたいと硬式野球チームを退団し

中学校野球部に入部しました。




その後毎日の地道な努力が功を奏し、

宇佐市選抜チームに選ばれ、主将

3番ファーストとして県3位の成績を収めました。




その功績も認められ、高校から2校ほど

声が掛かり、スポーツ特待生として

大分私立柳ヶ浦高校野球部に入部しました。




野球部は全寮制で3月から高校1年生の3月から

寮生活を始めました。平日は朝6時から朝練習が

まり、朝から学校に行き、火曜日金曜日

授業が4限、月曜日水曜日木曜日は6限で

終わり次第、練習が始まるという野球漬けの

毎日でした。休日は朝から夜まで練習

また朝から夜まで練習試合という毎日

24時間野球に打ち込める環境でした。




高校野球といえば上下関係の厳しさは

伝統ですが、私達の高校はその中でも

かなり厳しかったです。野球部は全寮制だったので、

24時間先輩に気を遣わなければならず、

毎日過度なストレスさらされ

野球を続ける意味があるのかと感じたくらい

酷かったのですがそのおかげで忍耐力がつき、

高校野球の3年間よりキツイことは

なかなかありません。




高校野球の厳しさを痛感し始めた

2009年7月11日大会開会式の道中でバス事故

経験し、大分県別府高速道路で夏の大会

向かう途中にバスの横転が原因で私の1つ上の先輩が

亡くなりました。





バス事故バス運転手であった私達コーチ

スピード違反と小雨で道路スリップやす

なっていた2つの原因で起こりました。





私は奇跡的に無傷でバス事故から生還しましたが、

周りのみんなは血だらけでパニックに陥り、

状況を理解出来ないまま1つ上の先輩は即死

他の方もかなりの人数が重軽傷を負い

その後の野球人生が絶たれた方なども

いらっしゃたので未だにあのショックを

忘れられません。






幸いバス事故で無傷だった方もパニック障害

過呼吸など事故を思い出すたびに発作が

でてしま学校を辞めていく人が何人もいました。





当時16歳という若さでたくさんの方の人生

狂う瞬間を間近で見てその当時はなにも

考えられない程の衝撃的な出来事でした。





その後バス事故でショックを受けており、しばらく

実家帰省して療養していましたが

もう一度甲子園に行きたいと思い寮生活に帰りました。






寮生活に戻った当初はバス事故で落ち込んでいて

野球部員全員で乗り越えようという風潮がありましたが

時間が経つにつれてバス事故の悲しみが薄れ、

また厳しい上下関係が始まりました。


毎日寮生活ストレスが溜まり

また同級生にも心許せる友人がいなく、

胃腸炎を5、6回繰り返し高校2年の春に

自律神経失調症にかかり、寮内で倒れ救急車

運ばれてから野球が出来なくなり、

約3ヶ月程実家不登校を経験しました。





不登校の間は本当に毎日を過ごすのが本当に辛く

なぜ自分はこの道を選んでしまったのかと

後悔しながら家のベッドで寝てただ刻々と時間

過ぎるのを待つばかりでした。






高校2年の秋から全寮制の中で特例で私だけ

実家から通わせてもらいながら学校に行き始めたので

当然同級生の風当たりは冷たく、結局高校生活で

心許せる友達が出来ませんでした。





プロになりたくて柳ヶ浦高校に入部しましたが

ベンチ入りしたのは高校1年の秋に1回だけで

そこからは野球をまともにプレーしていません。




小学校中学校と周りの人に比べて野球も上手く

勉強スポーツもそこそこ出来て何でも

自分の思い通りに世界が動くと勘違いして高校

進んだ私にとって高校野球という理不尽場所

上下関係が厳しく、同級生とは馴染めず、

プロになるという夢どころかレギュラーにすら

なれないという全てが上手くいかなかった高校時代

経験出来たことはそれまで天狗だった私を

見直す貴重な時間になりました。




高校野球が終わり、当時就職と進学に

迷っていましたが高校野球の全寮制という

小さな組織で苦労したので大きい世界をみたい、

色んな人に会い、色んな価値観を知る事で

世の中を学びたいと思い大学進学を決意しました。





しかしここで再び大きな壁に衝突しました。





その壁とは私達の高校は、それぞれの部活

全国大会に出場する為に3年間スポーツをする事だけを

考えるスポーツに特化した高校であり、その為

高校3年間で中学範囲を復習する勉強方法でした。




同級生のほぼ全員がスポーツ推薦で大学就職

決める中で自分学力大学進学を狙う私は

異端児扱いされるほど勉強とは縁遠い高校でした。





今まで古文や漢文物理、生物など習った事が無く、

また"センター試験"という言葉すら高校3年当時に

知らなかったので一応、現役で福岡大学に合格を

目指したのですが推薦入試一般受験など様々な

方法で挑戦しましたが結果全部不合格

浪人することを決めました。





高校卒業後、予備校探しを始めたのですが

高校時代勉強をしていなかったため偏差値

30ちょっとしかなかったらしく某予備校から

あなた学力じゃこの予備校ではやっていけない」

と衝撃的な断られ方をして私みたいな所謂

落ちこぼれからエリートまで幅広く

受け入れる四谷学院北九州校に入学しました。





四谷学院個人のペースに合わせてくれる

マンツーマン授業と学力が近いもの同士で

クラス編成をしてくれる少人数授業の2つから

成り立っていて自分みたいな落ちこぼれ

周りの目を気にせず勉強が出来ないことを

さらけ出せたことは四谷学院入学して

本当に良かったと思います






ただ自分のペースでやらせてくれていたので

全て自己責任なのでやる気がなくなり授業を

サボり始めたり、友達と話して現実逃避

する友達が次第に増えたことも事実でした。





そんな環境下で生き残る為に私が取った方法は

ライバルを1人見つけてその方の勉強時間

勉強方法を模倣して、また信用できる先生を

科目毎に1人見つけて勉強のやり方の情報を絞り、

身につくまで何度も反復をするという

地道な作業の繰り返しを行いました。





入校当初の4月は勉強の仕方も分からず

結果もついてこない状況で大変苦しかったですが

この勉強方法で、7月くらいに要領を掴んでからは

偏差値が一気に20くらい上がり夏には現役時代

憧れていた福岡大学のA判定が出たので志望校

明治大学まで引き上げて2月まで走り抜きました。





結果2月の受験の結果は福岡大学商学部

経済学部スポーツ学部は全部受かり、

1年前の全部不合格リベンジは果たせましたが

明治大学は落ちました。





落ちた要因を分析すると一生懸命やっていれば

結果は出るだろうと根性論で量に特化し過ぎてしま

そこに自分なりの理論を構築出来なかった事。

その結果、暗記は出来るが応用には対応出来ない

という状況に陥り、今思えば当然の結果となりました。





こうして1年間浪人をした後に福岡大学商学部商学科に

入学しました。





なぜ三学部合格を頂いた中で商学部入学したかと

言います商学部は、より実践的な勉強が出来ると

予備校の先生にアドバイスを頂いたからです。





スポーツに関しては高校野球の苦い思い出があり、

少し距離を置きたかったですし、経済学数学

苦手な私にとってはあまり興味が湧かないジャンルだと

思った中で当時公認会計士税理士を目指したいと

思ってた私は福岡大学で唯一公認会計士税理士

育成プログラムがある商学部に進む事を選択しました。





大学進学直後は公認会計士税理士になる為

日商簿記三級を約3カ月で取るなど順調な滑り出し

でしたが、高校野球浪人生活の厳しい環境の中に

自分を閉じ込めていた反動昼夜逆転して

ひたすら遊びにのめり込んでしまうという絵に

描いたような大学生活を送ってしまいました。

(高校浪人青春真っ只中で遊べなかったので

遊び尽くせて後悔はしていませんが遊びの時期が

長過ぎた事は反省しています。笑)





そんな日常過ごしている中で1つの転機が訪れ、

それが大学2年生に行われたゼミ選びです!





私は経営に興味があったので合力知工教授

ゼミに応募し、無事ゼミ生として

入れてもらう事が出来たので合力先生の

ゼミ生として現役時代活動していました。





浪人時代大学に合格する為にはどのくらい偏差値

上げなければいけないのかどんな問題

解けなければいけないのかと明確に数値化が出来て、

また形になっていたのに対し、大学は当初こそ

公認会計士税理士を目指していましたが遊びに

明け暮れ、目標がないまま日々を生きていた為、

ゼミに入れた事は1つの目標をゼミという組織で

シェアして全員で取り組めるという点で

大きな転機になりました。





また合力先生からポジティブシンキングを学び、

元々はネガティブだった私もポジティブ物事

考えることで、以前に比べてポジティブ

ネガティブの両方の観点、即ち色んな角度から

物事を捉える事が出来る様になり、志向の幅が

広がったという点で自分の中で大きな財産

なっています

(ちなみに今でも合力先生の著書である

逆転の発想は定期的に読み返しています。)





ゼミでは福岡県銭湯活性化プロジェクトを行い

その中で福岡県公衆浴場生活衛生同業組合公認

ゆるキャラを作ったり商学部の知識を活かして

マーケティングを行なったりしたのですが

次第にそのプロジェクトは先輩が土台を

作ってくれたものを受け継いでいるだけなのでは

いかと感じ、どこにも依存せず自分自身

価値を生み出したいと思い始めていました。





それから自分で何かを生み出す為に色々

模索しながら1年が過ぎた2015年8月大学3年生時

友人が東北ボランティアに行くと言っていたので

何かの転機になるのでは思ったのと1度東北

自分の目で見たかったので友人に便乗する形で

東北へ行きました。





実際に東北に足を運んで感じた事は自分

考えていた以上に復興支援が進んでおり、

企業規模でなければどうする事も出来ないような

案件は沢山残っているものの、個人的に手伝う事

(瓦礫撤去やゴミ拾い)はほとんど残っていませんでした。





実際に現地に足を運んだ事でメディアと現実は

違う事を知る事が出来て改めて自分の目で物事

見る大切さを学んだ一方で、現地で何も出来ず

無力感を痛感したので同じ日本人として私自身で

東北の為に何か価値を生み出す事は出来ないか

この経験を機に思うようになりました。





そこから縁あって同年10月14日松永武士さんが

福島経営するブランド「KACHIUMA」の工芸品で

ある大堀相馬焼福岡に広めるイベントである

福島から世界へ ~過去、現在、そして未来~」を

友人2人と企画し、開催させて頂きました。






実際に私は東北に行き、現地を自分の目で見ることで

初めて知る事が、沢山ありましたがやはり行かなければ

分からないですし、九州に住んでいると自ら得ない限り

東北情報は入ってこないのが現状です。





そこで私達が福岡の方、特に若い学生に東北の現状を

知り、東北に興味を持って将来的に東北の為に

動いて頂く1つのキッカケにしてもらうべく

学生などにも声を掛けた結果イベント当日は

100人程集まり九州の方々と東北を繋げるマッチング

役割を担えたと感じ、私達なりに価値

生み出せたのではないかと感じています






そんな中で同年11月10日

節外性NK/T細胞リンパ腫鼻型と宣告され、

11月20日九州大学病院入院する事に

なったので当初は生きた心地がしませんでしたが

この状況で何か価値を生み出せないかと考え、

自身の闘病経験をリアルタイムで発信する為に

このブログ作りました




ブログを作った結果、色んな方から応援して

頂けるようになりブログを見て頂いた人の中には

「生きる意味を改めて考えさせられた」と

言って頂き、病気という一見マイナスに見える事象も

考え方や行動次第では人の役に立つ事が出来るし

病気きっかけに全ての出来事に意味が

あるのではないかと思うようになりました。




それから2ヶ月後の2016年1月15日

抗がん剤放射線治療が無事終わり治療後1年間は

再発率が最も高いので学業に専念する形で就職活動

せずに2017年3月に大学卒業してから就職活動

始めました。





そして私自身がお世話になった投薬治療

薬に興味を持ち世の中の病気で苦しむ沢山の人に

私と同じ思いをして欲しくないという気持ちから

医療関係を受けて某製薬メーカーの営業(MR)に

内定を頂きました。





悪性リンパ腫という死を感じた重病を経た事で

病気で苦しむ方々の気持ちは痛いほど分かりますので

医療勉強し、より多くの人々の苦しみを和らげる為

頑張ります





またブログも少しでも皆さんに役立つよう

発信して頂きますので今後とも�

Full name

ごう

Género

Age

24

Birthday

12月5日

Blood type

B型

Occupation

今年4月より社会人になります

School

福岡大学

Place of residence

福岡県

Place of birth

大分県

Hobbies

食に興味があり、美味しい物を食べる事にお金をよく使います

Special skills

10年間野球をしていたので野球は少し出来ます

Languages

今は英語勉強中です!

Likes

Food liked カレー