あどけない詩

あどけない詩さんのプロフィール

森の夢と青の歌、帰れる場所を求めて詩を綴る日々。安らかな地に至れるように。

プロフィール最終更新日:

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ニックネーム
あどけない詩
一行紹介

森の夢と青の歌、帰れる場所を求めて詩を綴る日々。安らかな地に至れるように。

自己紹介

名前

感人

経歴

福島県伊達郡生まれ。

少年期を東京にて過ごしたが、大学より東北に戻り仙台にて就職

東北で暮らしているうちに、自然大切なことが分かるようになり、詩を書き始める。

現在東京に出向中。平成19年帰仙予定。

趣味

森の散策、野鳥の観察

特技

口笛、草笛(少し)

好きな詩人

津村信夫立原道造

詩の創作

4年ほど前から書き始め、HP等で公開しています。

小説創作

森から教わったことを話にしようとしていますが、歩みが遅いので、形になる前におじいさんになるかもしれません。

詩にどう向き合っているかについて

私の詩というのは、道ばたに数多くある草花のひとつだったり、幾年経っても変わらないような田舎の村だったりと、都会で暮らす多くの人にとっては取るに足らないものかもしれません。

しかし、私はこの世界で本当に大切なこととは、野原で見つけた花が優しさをくれることや、嵐に揺られている樹の上の鳥が強さをくれること、そして祖父が語る畑を耕すことが大地の温かさをくれるような、そういうことだと思うのです。

だから、私はそういうことに出会うと、一日、一週間、そして一ヶ月と経つうちに、自然の私の縁からしみ出してくる思いを、言葉や絵としていつも持ち歩いてるA5のノートに書き付けておくのです。

そして私はその言葉を、毎夜に開いて(残念ながら私が宝物を開けるのは夜だけなのです)、その優しさが本当に私の心であるのかを、その悲しみが本当に私自身であるのかを、ひと月かけて見つめ直すのです。

しかし、それらの言葉の全てが詩に通じるわけではありません。本当に大切な優しさや悲しみは、今の私の手のひらでは、ひと月にひとつやふたつぐらいしか抱えることが出来ないからです。

もしも、そのひと月間に、私の手のひらからその心がこぼれ落ちてしまったとしたら、それは残念なことですが詩としてではなく、私のノートの切れ端にだけ残しておくのです。それはまだきっと、時が満ちていないのです。

しかし、ひと昔前には、私は自分の内に生じた感動の一つ一つを、その全てが大切な自分自身であると焦って形にしようとしていました。しかし、どうでしょう。こうやって改めて眺め直してみると、確かにそれらの詩は、その当時の私が感じた事を形にした詩なのですが、その詩一つ一つを今でも私の詩であると、支えることが出来るのか疑わしいのです。

今の私は、詩を詠む(生む)といっても、ひと月に1編ないし数編ぐらいです。しかしそれらの詩は、半年経って思い返したときでも、その時その詩に読んだ大切な思いを今でも語れるのです。そしてその詩を同じように詠めると思うのです。

しかし、これでも、まだまだ詩を見つめることが足りないかもしれません。そして、まだまだ急ぎすぎているのかもしれません。

というのは、私は私の詩の一つ一つについて、それが本当に私自身の詩であるのかと、私自身で確かに感じた思いであるのかと、そして例え未来において、私の世界に対するものの見方が変わってしまったとしても、その思いは未来自分の中に脈々と流れていて、その詩が私の詩であると述べることが出来るのかと、そういうことを考えるからです。

平成18年3月に、詩人茨城のり子さんが亡くなりました。茨城さんの有名な詩に「自分の感受性くらい」という題名の詩があります。そしてその詩の最後は、「自分感情ぐらい/自分で守れよ/ばかもの」という言葉で閉じられています。

この言葉は、「二十歳の頃 第1集」(立花隆ゼミ)で茨城のり子さんが書いているところによると、戦争時代においての

一億玉砕で、みんな死ね死ねという時でしたね。それに対して、おかしいんじゃないか、死ぬことが忠義だったら生まれてこないことが一番の忠義になるんじゃないかという疑問は子供心にあったんです。

ただ、それを押し込めてたわけですよね。こんなこと考えるのは非国民だからって。そうして戦争が終わって初めて、あのときの疑問は正しかったんだなってわかったわけなんです。

だから、今になっても、自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。そうしたときに、自分の感受性からまちがえたんだったらまちがったって言えるけれども、人からそう思わされてまちがえたんだったら、取り返しのつかないいやな思いをするっていう、戦争時代からの思いがあって。だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」なんですけどね。

という体験から来ているそうです。

私が思うところの、あるいはおそらく詩を詠む多くの人が共感するところだと思いますが、詩の言葉というものは、自分の感受性のなかでも、詩という形で表現する事を選んだ感情結晶化したものです。

ただの感情ではありません。心の中に生じた思いが言葉という明確な形を持って生じ、その言葉自分の口、あるいは自分の手の先から溢れ出すように外に染み出したもので、そしてその発せられた言葉が、自分を含む人に詠まれるべき詩という形で表現されることを選ばれた感情です。そしてその詩という形は、多くの先人達が様々な形で思いを語ることを試行錯誤した結果に作られたものであり、詩という形式で表される感情とは、そういう感情なのです。

偽ることはできません。いい加減であってはいけません。自分が大切に思っていたことが、ただその時の周りの調子に合わせただけのものなどと、社会のいうとおりに、人が言っているとおりにただ何の考えも無しに語ってしまっただけなどということになってしまったら、のちの私にとって、その詩は何の意味も持たない、後悔だけのものになってしまうわけですから。

ですから、詩をつくっていくに当たっては、常に自分自身の詩と向き合って、問いかけなければならないのです。「自分の詩ぐらい/自分で守れよ/ばかもの」という言葉に、自分自身の詩をありありと見つめてそれがはっきり自分の詩だという事が出来るように、頭の中で繰り返し繰り返し問い返さなければなりません。

私はその結果、今のようにひと月に一つだけしか詩が詩が作れないことになっても、それでいいと思います。少し、考えてみて下さい。もしひと月に詩が一つできるとしたら、1年では12編、3年では30編の一つの詩集が、30年では全集の一冊が出来上がる程の詩が書けるでしょう。

それが、良いのではないですか。30年経った後でも、自分自分で作ってきた詩を語れる方が、その詩が自分の詩である方が、よっぽど良いのではないでしょうか。最近私はそのように思い、そのようにして詩を書いています。「自分の詩ぐらい/自分で守れよ/ばかもの」と、その言葉に向き合える形で詩を書いています。

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