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happylife_meさんのプロフィール

50代60代の女性が自分が思い描く通りの華やかなで身も心も豊かなセカンドライフを送るためのメディア

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一行紹介

50代60代の女性自分が思い描く通りの華やかなで身も心も豊かなセカンドライフを送るためのメディア

自己紹介

始めまして

現在千葉県在住
建築業会社に勤務しています

br)私は
東京高田馬場駅南口そばで育ちました
両親と年の離れた姉と私の4人家族
とても大切に育てられました
とても優しい両親でした
子供の時は母親が大好きで
片時も離れられなかったのを覚えていますbr

学生時代順風満帆
思い通りの職場就職をして
結婚もして
子供にも恵まれ
とても幸せ人生です

br

私は自分の描いた全ての願いを叶え
思い通りの
自分理想人生を生きていました(br

その幸せ
ず~っと
ず~~っと
続くと
思っていました(br

 

子供が生まれた直後に

夫は仕事休職して

先輩の会社の立ち上げを

3ヶ月限定で手伝いに行きました(br

 

その3ヶ月の間に

戻るべき会社社長

交通事故で突然他界

戻るはずの会社解散br

 

夫には戻る会社

無くなってしまいました

 

先輩の会社も大変そうで

帰る会社もないし

約束の3ヶ月を過ぎても

手伝う事になりました

もちろん
手伝いに行った先輩の会社
成功報酬会社なので
会社収入が入るのは3ヶ月後
夫の収入出世払い収入なし

家を購入した直後で
ほとんど、無いに等しい貯金
すぐに底をつきました

まず電話が停められ・・・

翌週には水道が停められ・・・
(嘘かと思われるかもしれませんが
水道も止められるんです
早かった・・・
ビックリでした

水道は命に関わるから停められない
と、聞いた事があったのに
突然
水道から水が出なくなるんです
怖いですよ
蛇口ひねっても水がでない
お金の無い事の恐怖を
始めて実感しました

その数日後にはガスも停められ・・・

子供に食べさせる事と
家のローンの返済が最優先

そんな時に
父が食道ガンで他界
急だったので
私も、母も、姉も
何もしてあげる事が出来ませんでした

その後も夫は先輩の会社
勤めていましたが
会社軌道にの
給料も支払われるようになり
普通生活が出来るようになりました

普通生活とは???

電話がつながり
水道蛇口から水が出て
キッチンで夕食が作れる

そんな
中の下?か下の上?の
日本ならば極々当たり前の
生活レベルです

それでも
多少の不満はありましたが
まぁ、満足して生きていました

人生なんてこんなものだ』
と、かなり強引に
自分に納得させていました

そんな時に
母は再生不良性貧血発症
たった1ヶ月の入院
亡くなってしまいました

何もしてあげられなかったこと
体調の変化に
気付いてあげられなかったことへの後悔
母親の死よりも
母に何一つ親孝行ができず
別れてしまった事が辛かったです

父との別れの時に
抱えた後悔を
また抱えてしまったのです

私はその後悔しなければならなかった
辛さを夫に向けました

私が親孝行ができなかったのは
夫のせいだ

私が家事子育てを1人でして
夫は何も手伝おうとしない

お金がないのも
時間がないのも
全て夫のせいだ

そう思いました

そう思って
父と母に親孝行ができなかった
事を詫びました

こんな思いで一緒に生活していても
家庭生活円満であるはずはなく
ギクシャクし始めました

感謝の思いがなくなり
不満を持って生きていると
全てが悪い方へ悪い方へと
流れて行きます

翌年の1月5日
私の勤務していた会社での
社長新年の挨拶
会社の整理???

早い話が
会社倒産のお詫びでした

なぜ、新年に発表したか

役員さんがお正月
楽しく過ごしてもらおう
という配慮だったのですが・・・
男性社員
「1日も早く知らせて欲しかった」
と、言っていました

それももっともなご意見です)
結局その会社もは1月15日に倒産

そして、私は体調を崩して入院

あんなに元気だった私が!
病気
入院
現実を受け入れられないまま
ベット上安静の状態
ベットから1歩も降りられない日が続き
トイレも歯磨きも
看護師さんに連れられて
車椅子で行きました)

この時
健康の大切さを痛感しました
日々の健康管理
重要と改めて思い知らされました

友人からあるご縁を与えられて
健康を取り戻し
健康でありつづけるために
色々学んでみると
病気になるべくしてなった事に
気がつきました

健康身体
健全な心

・優良な収入

理解してくれる人

この4つのが大切さを      
経験から身を持って知りました


これからはこの3つを大切にして
生きていこうと決めました

そして
子育てが終わり
ギクシャクとした家庭は
ますます、ギクシャクしていましたが

私は気付いていました
私が親孝行が出来なかったのは
夫のせいではなく
父や母に甘えていた自分のせいだった
父や母に与えてもらう事が当然で
自分が何も与える気が無かった

から

私は出来る親孝行先延ばしにして

結局
何もしてあげる事が出来なかった
全てが自分のせいだった

その事に気付いたからと言って
ギクシャクした家庭が
円満になるはずもなく

いつ離婚してもいい
自分は1人で大丈夫
と、開き直って生きていました

本当に嫌な女です

そんな時に
東北震災が起きました
夫は3月11日の朝まで
気仙沼の港の近くで徹夜仕事をし
朝食後に気仙沼を出発し
自宅の近くの路上
地震の時を迎えました

その後に聞いた話では
孫を保育園に迎えに行き
余震の度に泣く孫と
津波映像を見ていたそうです

時間前に自分がいた場所
流されている映像を見て
ショックだったのだと思います

家族の誰とも連絡が取れず
辛くて不安だったのだと思います

私が深夜2時過ぎに帰宅すると
玄関に立っていて
泣いていました

「帰って来てくれて、ありがとう
そう言って泣いてくれました

自分の両親が亡くなった時にも
泣かなかった夫の泣く姿を見て
掛ける言葉が見つかりませんでした

「帰って来てくれて、ありがとう
と言ってくれた夫に
何と返事をしたら良いのか
わかりませんでした

その後
また、あるご縁を頂き
『しあわせ』に生きるためには
自分に関わる全ての人に感謝する

自分の周りで起きた事を全て受け入れる

自分の事を認め、自分を好きになる

・そして周りに貢献できる人になること

そんな人になれたら
これから人生
自分の思い通りの
楽しい人生になるんだよ
と、教えて頂きました

開き直って
トゲトゲしていた
嫌な女だった私は
しづつですが変わってきています

自分に関わる全ての人に感謝する
まず
夫に感謝しました
東北震災の日に
私を待っていてくれて
ありがとう。嬉しかったよ」
そう言葉にして言ったら

夫は
「ふ~ん」
とだけ言ってくれました

私の心はゆっくりゆっくりですが
豊かになってきています
鎧のように付いていたいたトゲが

少しずつ取れてきています

 

私はもう一度
母に守られたいた時の
「ありがとう」の言える
素直な私に戻って

これからセカンドライフ
心の底から楽しんで生きようと決めました

子育ても終わり
自由に使える時間も、収入
余裕が出来ました

以前
病気をした時に大切にすると決めた
この4つ

健康身体
健全な心

・優良な収入

理解してくれる人

これに
自由に使える時間
・豊かな心
の2つを加えた

6つを大切にしながら

これから人生
楽しんで生きていきます

これから迎える
50代、60代の時間
自分が思い描く通りの華やかで
身も心も豊かな
自分が納得できる
セカンドライフを送るための
情報と私の想いを皆様と
共有していきたいと思っています

そして、もう一つ
これから人生
私たちの心を最も豊かにしてくれる
子供たち
お嫁さん
お婿さん
孫たち
との関わりも書いていきます

できることならば
皆様のお考えも
コメントメールなどで頂けると嬉しいです

皆様から意見を頂けると
共有できる内容も増え
沢山の皆様へのお役に立てると考えております

私のブログ訪問頂いた方が
思い通りの華やかで
身も心も豊かな
セカンドライフを送るために
少しでも貢献できるように
丁寧に書かせて頂きます

これから
宜しくお願い致しま

2016年5月8日日曜日

母の日

始めまして

現在千葉県在住
建築業会社に勤務しています

br)私は
東京高田馬場駅南口そばで育ちました
両親と年の離れた姉と私の4人家族
とても大切に育てられました
とても優しい両親でした
子供の時は母親が大好きで
片時も離れられなかったのを覚えていますbr

学生時代順風満帆
思い通りの職場就職をして
結婚もして
子供にも恵まれ
とても幸せ人生です

br

私は自分の描いた全ての願いを叶え
思い通りの
自分理想人生を生きていました(br

その幸せ
ず~っと
ず~~っと
続くと
思っていました(br

 

子供が生まれた直後に

夫は仕事休職して

先輩の会社の立ち上げを

3ヶ月限定で手伝いに行きました(br

 

その3ヶ月の間に

戻るべき会社社長

交通事故で突然他界

戻るはずの会社解散br

 

夫には戻る会社

無くなってしまいました

 

先輩の会社も大変そうで

帰る会社もないし

約束の3ヶ月を過ぎても

手伝う事になりました

もちろん
手伝いに行った先輩の会社
成功報酬会社なので
会社収入が入るのは3ヶ月後
夫の収入出世払い収入なし

家を購入した直後で
ほとんど、無いに等しい貯金
すぐに底をつきました

まず電話が停められ・・・

翌週には水道が停められ・・・
(嘘かと思われるかもしれませんが
水道も止められるんです
早かった・・・
ビックリでした

水道は命に関わるから停められない
と、聞いた事があったのに
突然
水道から水が出なくなるんです
怖いですよ
蛇口ひねっても水がでない
お金の無い事の恐怖を
始めて実感しました

その数日後にはガスも停められ・・・

子供に食べさせる事と
家のローンの返済が最優先

そんな時に
父が食道ガンで他界
急だったので
私も、母も、姉も
何もしてあげる事が出来ませんでした

その後も夫は先輩の会社
勤めていましたが
会社軌道にの
給料も支払われるようになり
普通生活が出来るようになりました

普通生活とは???

電話がつながり
水道蛇口から水が出て
キッチンで夕食が作れる

そんな
中の下?か下の上?の
日本ならば極々当たり前の
生活レベルです

それでも
多少の不満はありましたが
まぁ、満足して生きていました

人生なんてこんなものだ』
と、かなり強引に
自分に納得させていました

そんな時に
母は再生不良性貧血発症
たった1ヶ月の入院
亡くなってしまいました

何もしてあげられなかったこと
体調の変化に
気付いてあげられなかったことへの後悔
母親の死よりも
母に何一つ親孝行ができず
別れてしまった事が辛かったです

父との別れの時に
抱えた後悔を
また抱えてしまったのです

私はその後悔しなければならなかった
辛さを夫に向けました

私が親孝行ができなかったのは
夫のせいだ

私が家事子育てを1人でして
夫は何も手伝おうとしない

お金がないのも
時間がないのも
全て夫のせいだ

そう思いました

そう思って
父と母に親孝行ができなかった
事を詫びました

こんな思いで一緒に生活していても
家庭生活円満であるはずはなく
ギクシャクし始めました

感謝の思いがなくなり
不満を持って生きていると
全てが悪い方へ悪い方へと
流れて行きます

翌年の1月5日
私の勤務していた会社での
社長新年の挨拶
会社の整理???

早い話が
会社倒産のお詫びでした

なぜ、新年に発表したか

役員さんがお正月
楽しく過ごしてもらおう
という配慮だったのですが・・・
男性社員
「1日も早く知らせて欲しかった」
と、言っていました

それももっともなご意見です)
結局その会社もは1月15日に倒産

そして、私は体調を崩して入院

あんなに元気だった私が!
病気
入院
現実を受け入れられないまま
ベット上安静の状態
ベットから1歩も降りられない日が続き
トイレも歯磨きも
看護師さんに連れられて
車椅子で行きました)

この時
健康の大切さを痛感しました
日々の健康管理
重要と改めて思い知らされました

友人からあるご縁を与えられて
健康を取り戻し
健康でありつづけるために
色々学んでみると
病気になるべくしてなった事に
気がつきました

健康身体
健全な心

・優良な収入

理解してくれる人

この4つのが大切さを      
経験から身を持って知りました


これからはこの3つを大切にして
生きていこうと決めました

そして
子育てが終わり
ギクシャクとした家庭は
ますます、ギクシャクしていましたが

私は気付いていました
私が親孝行が出来なかったのは
夫のせいではなく
父や母に甘えていた自分のせいだった
父や母に与えてもらう事が当然で
自分が何も与える気が無かった

から

私は出来る親孝行先延ばしにして

結局
何もしてあげる事が出来なかった
全てが自分のせいだった

その事に気付いたからと言って
ギクシャクした家庭が
円満になるはずもなく

いつ離婚してもいい
自分は1人で大丈夫
と、開き直って生きていました

本当に嫌な女です

そんな時に
東北震災が起きました
夫は3月11日の朝まで
気仙沼の港の近くで徹夜仕事をし
朝食後に気仙沼を出発し
自宅の近くの路上
地震の時を迎えました

その後に聞いた話では
孫を保育園に迎えに行き
余震の度に泣く孫と
津波映像を見ていたそうです

時間前に自分がいた場所
流されている映像を見て
ショックだったのだと思います

家族の誰とも連絡が取れず
辛くて不安だったのだと思います

私が深夜2時過ぎに帰宅すると
玄関に立っていて
泣いていました

「帰って来てくれて、ありがとう
そう言って泣いてくれました

自分の両親が亡くなった時にも
泣かなかった夫の泣く姿を見て
掛ける言葉が見つかりませんでした

「帰って来てくれて、ありがとう
と言ってくれた夫に
何と返事をしたら良いのか
わかりませんでした

その後
また、あるご縁を頂き
『しあわせ』に生きるためには
自分に関わる全ての人に感謝する

自分の周りで起きた事を全て受け入れる

自分の事を認め、自分を好きになる

・そして周りに貢献できる人になること

そんな人になれたら
これから人生
自分の思い通りの
楽しい人生になるんだよ
と、教えて頂きました

開き直って
トゲトゲしていた
嫌な女だった私は
しづつですが変わってきています

自分に関わる全ての人に感謝する
まず
夫に感謝しました
東北震災の日に
私を待っていてくれて
ありがとう。嬉

性別

女性

血液型

A型

職業

会社員

住んでいるところ

千葉県

生まれたところ

東京都新宿区

趣味

孫のサッカー応援

美味しい物を食べる事

特技

編み物

パッチワーク

言語

日本語