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- Hatena ID
- koryan2001
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- 上海お茶屋
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中国生活18年。一文無しで上海にたどり着き、ゼロからスタートして今に至る。
- Self introduction
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北海道稚内出身。
のびのびと小中学校時代を過ごし、
高校時代に自己の存在意義を探し始め、少しへそ曲がりな姿勢を身につけた。
受験勉強もせず、大学に願書提出しようと思った頃にはもう閉め切られていた。
もっともその頃は受かるところもないだろうという成績でしたが。
漠然と田舎にいても仕方ないと思い、神奈川の大学に通い始めた友人のところに転がり込み数ヶ月世話になる。
その後住み込みの警備員の仕事を見つけ、東北自動車道の警備で群馬の館林で数ヶ月タコ部屋生活。
まさに社会の吹きだまりという感じでいろんな事情のある人が集まってた。
先輩方からいろいろ面倒見てもらい、楽しかった。
翌年、一度実家に帰り親父に頼んで、予備校の授業料と毎月の生活費をだしてもらい、浪人生活にはいる。
高校卒業時は赤点すれすれだった成績から早稲田二文に合格するまで引き上げられたのはひとえに同居人として毎日ご飯を作ってくれた高校時代の友人のおかげだ。
入学手続きのために親父に送金を依頼するも、敢え無く断られる。
家を出た実母の実家にすがってお金をかり、入学手続きと同時に休学手続きをした。
その年ちょうど筑波expoがあったので住み込みでアルバイトをし、
半年で借金を全部返してすっきりして学生生活を始める。
当時は親父を恨んだが今となってはそれが私の基礎を作ってくれたのだと思う。
大学時代は襖や障子の張り替え、ペンキ塗り壁紙貼りなど内装の仕事で自活する早大ホームサービスグループに所属。
夕方から学校に行くんですけど、授業中すぐ寝ちゃうんですよね。
他人には「勉強が楽しくて大学に7年在籍させてもらいました」
というけど本当は試験の点数がとれなかったんです。
卒業後も残って苦学生の後輩指導で自分が卒業させてもらえたことに対する恩返しだと思い、また7年その仕事を続けた。
そろそろ自分の人生を始めようかと思い、東京を去り一度稚内へ帰る。
ピザの宅配のアルバイトをしながら給料の一部を家に入れる。
台湾から観光に来たおじさんと知り合い、おじさんが帰った後すぐに語学留学の願書を送ってくれたので、台湾に行った。
それまでは中国と台湾がどう違うのかも知らないような若者だった。
やはり現地の人と交流しないとわからないですね。現実味がない知識は身に付かない。
1年間日本語教師のアルバイトをしながら台湾で中国語を勉強した後、バイト先の社長に「一緒に上海に行って会社作らない?」と誘われ、翌月上海へ。
会社に食事付きで住み込み給料は当時日本円換算で5万円に満たないほどだった。
でも初めてのことばかりで仕事は楽しかった。
自分一人寝るところと食うものがあってたまに日本に帰れればそれだけで何の不満もない。
そのうち中国人女性とつき合うようになり、結婚し、子供もうまれ、店を始め、田子坊というエリアが急に脚光を浴び、家を買い、車も買い、あちこちから出店勧誘のお声をかけていただくようになり、それで烏鎮にも店を出し、北京、天目湖にも店を出すことができました。
日本飛び出して初めてわかったことがいっぱいある。
日本離れて随分経つから、あるいは今の日本で生活している日本人と見方や考え方に違いがあるかもしれません。
今とても思うことは、ナニジンはどうだ、という固定観念に縛られすぎているんじゃないか、と。
ナニジンだろうとそういうヤツも居ればそうじゃないヤツもいる。バカもいればかっこいいヤツもいる。
マスコミはちゃかした記事や見出しじゃないと読んでもらえないのでそういう記事ばかり取り上げますが、
メディアだけじゃなく現実のナマのナニジンに接していただきたい。
結構共感できるヤツ、いるよ。
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