秋葉 忠利

秋葉 忠利さんのプロフィール

広島市長 秋葉 忠利 プロフィールと著書

プロフィール最終更新日:

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ニックネーム
秋葉 忠利
一行紹介

広島市長 秋葉 忠利 プロフィールと著書

自己紹介

1942年 東京に生まれる

AFS留学生としてアメリカ高校生活を体験

1968年東京大学数物系大学院修士課程終了後、マサチューセッツ工科大学博士号を得る。専攻は位相幾何学。タフツ大学准教授をへて現在広島修道大学教授

1978年、外国人ジャーナリストの目で「ヒロシマナガサキの心」を世界に伝える「アキバプロジェクト」を提唱、その運営に従事。テレビ朝日CNNデイウォッチ」水曜日キャスター。著書『真珠と桜-「ヒロシマ」から見たアメリカの心』ほか。

国会議員時代

日本社会党(後に社民党)に属し1990年の第39回衆議院議員総選挙大原亨の後継者として立候補して初当選連続当選3回。1993年社会党シャドーキャビネット科学技術委員長1996年の最後の日本社会党委員長選挙では現職委員長村山富市に惨敗。第41回衆議院議員総選挙比例復活。この間に社民党の政審会長などを歴任している。旧民主党結党時に多くの議員社民党を去った時も残留した。

広島市選挙

1999年衆議院議員を辞職し広島市長選へ出馬自民推薦の元厚生省官僚広島市助役)の大田晋や広島市議会議長経験者など新人5人との激戦を戦い初当選1999年2月に市長就任、2003年は、再び自民推薦・公明支持の大田晋と古葉竹識保守系2候補らを破り再選された。2007年自民推薦・公明支持の柏村武昭参議院議員と多くの広島市議の支持を受けた大原邦夫元広島市議の保守系2候補らを大差で破り3選を果たした。

いずれの選挙秋葉は最後に立候補を表明したが、抜群の知名度によって再選できた。たとえば3度目は広島県選出の中川秀直が党中央による候補として擁立した柏村(任期終了直前に辞職させた)に対し、自民党広島市議の大半が大原を応援するという、保守分裂選挙選挙になったが、柏村が得票順3位と惨敗した。

平和活動 平和市長世界会議の議長として役目を果たすなど、活発な平和活動を展開している。 2003年6月金正日国防委員長に8.6平和記念式典の招待状を郵送した事が話題になった。2007年4月広島平和文化センター理事長米国人スティーブン・リーパーを起用し、展示内容の見直しを指示、展示内容を見直す検討委員会に、中国韓国人アジア出身の委員の起用し、「原爆投下を『日本植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族共感、納得できる施設」(中国新聞)への変更を推進している。

現 広島市