こうた

こうたさんのプロフィール

元・偏差値41.3、落ちこぼれ劣等生の現役阪大生

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こうた
一行紹介

元・偏差値41.3、落ちこぼれ劣等生の現役阪大

自己紹介

初めまして、こうたです!



高3の夏、偏差値41.3だった僕は、

夢の大阪大学逆転現役合格しました。

いまは勉学、遊び、サークルバイト

充実した日々を送る現役の阪大生です。



例えば、大学を聞かれたとき阪大

言うと驚きと尊敬眼差しで見られます



高学歴という、ただそれだけのことで

世間の見る目が、劇的に変わりました

一生を決める就職においても、圧倒的な

力を発揮することを切に実感しています



今まで、見たことの無いような、レベル

の高い人も周りにたくさんいるので、

そういう人達刺激されることで、

自分もどんどん成長していきます



塾講師バイトでは、リーダー

任せられるようになりました。

多くの生徒たちから名指しで好かれ、

とてもやりがいのある仕事をしています



大学の規模が大きいと、

部活サークルの数もたくさんあって

何処に入ろうか決めきれないくらいです。



僕は4つくらいサークルを掛け持ちして、

今までの人生ではなかったような多くの

人達友達になることが出来ました。

大切な人も出来ました。



本当に毎日が充実していて

楽しくてこの環境感謝しています



これを聞くと、もしかしたら、

『こうたさんは、元々頭良いんだろうな。』

成功して、キラキラしていて良いな。』

と思われるかも知れません。



しかし、高校時代は暗闇でした。



定期テストでは、ノー勉の人に負ける

ということもしばしばありました。



テスト返却後、60点もない僕を横目に、

俺は90点だったけど、お前は何点?

と毎回聞かれるのです。



自身勉強をさぼっていたのであれば、

この結果も納得出来ます

『彼よりも僕の方がもの覚えが悪いんだ』

と考えることもできます



しかし僕は勉強しているのです。

決してさぼっていたわけではなく、

2週間前から毎日テスト勉強している

のに大差をつけられて負けしまう。



この状況はもの覚えが悪いとか、

親の遺伝とか、そんなものでは、

片づけられませんでした。

全くもって納得出来ません



『遊びも我慢して必至で勉強したのに』

『一体あの努力はなんだったのだろうか』



そんなことを日々感じていました。

本当に辛かったです。



努力は裏切らない』とか言いますが、

そんなものは完全に嘘で、ダメもの

ダメなんだと、ずっと思っていました。



本当に世の中は不公平なように

出来ているものだと、思っていたし、

今思えば、性格が荒んでいたと思います



こんな状況で、日々涙が出そうでしたが、

高2の夏、さら追い打ち

かけるような出来事が起こりました。

泣いてる場合でさえ無くなりました。



父親莫大な借金が明るみになった

のです。それも数十万円とかそういう

生ぬるい額ではなく数百万円単位です。



借金返済のためにまた借金をする。これを

繰り返すことで取り返しのつかない額に

なってしまっているようでした。



この事実を母が問い詰めると、

父は逆ギレし、一気に夫婦の仲が

険悪になってしまいました。



この状況が親族にも伝わり、

さらに大喧嘩に発展しました。



返済に追われ、毎日言い争う両親。

親族から縁を切られそうになる我が家



泣いてる場合でもありませんし、全く

勉強に集中する事が出来ませんでした。



本当に絶望な気分で、先の見えない

生活を日々過ごしていました。



『なんで自分けがこんな目に。。。』


何一つ恵まれず、与えられていない



そんなギリギリの状況の中、受験生になりました。

要領が悪いうえに集中して勉強する

ことも出来ず、モチベーション

完全に無くなってしまっていました。



しかも、経済的問題により、

お金のかからない国公立大学

志望校にせざるを得なくなりました。



そんな中で、模擬試験を受けました。

忘れもしない、受験半年後に控えた

高3の夏のことです。

模擬試験の結果を見て愕然しました。



E…E…E…



見渡す限りE判定だったんです。

第一志望校から第五志望校まで、

全ての欄に『E』とありました。



『何処の大学にも行けないんじゃないか

そんな嫌な感覚が頭の中をよぎりました。



はっきり、『E』と文字にして

その現実を突きつけられると、

とても惨めな気持ちになりました。



まるで世界の不幸を背負っているか

ような、そんな錯覚にも陥りました。



そんな中で、奇跡のような出会い

がありました。今にも雪の降りだし

そうな、曇り空の高校3年の12月5日

0°Cくらいの凍り付く12月のことです。



同級生がみな、コートマフラーという様な

出で立ちで、真っ白な息を吐きながら

通学していた日のことでした。



僕の状況を偶然近くで見ていた親友が、

ある塾の先生を紹介してくれたのです。



一見、何の変哲のない私服姿をした、

背が高く細身で物静かそうな、

中性的な顔立ちをした、

その先生はこう言いました。


まり受験まで時間がないから、

やり方だけを教える



そうして、僕の普段勉強法について

いくつか質問されました。



それに正直に答えていくと、

一つ一つ丁寧に、それは

こういう理由でこうした方が

良いよ、とアドバイスをくれました。



先生と話すと、何故かストンと納得できて、

自分勉強法や、週間を自然

変えることが出来ていました。



そうすると、勉強で日々達成感

得られました。初めての感覚です。



そこからは、騙されたように、

まるで、キツネに化かされたような

気分で、勉強するようになりました。



自分でも、人が変わったのでは

いかと思うくらいに、


まるで何かにとりつかれたか

ように勉強するようになり、

前向きに勉強に取り組めるように

なりました。



そんな中で迎えた最後模試



自分でもどうして、そうしたのかは

未だにわかりませんが、勢い余って

大阪大学第一志望校に書きました。



その結果、なんとB判定

取りました。

あの大阪大学でB判定です。

なかなかの衝撃でした。



きっと何かの間違いだろう。

それとも夢かな。また夢から

目が覚めて現実世界こんにちは

なんて思っていましたが、現実でした。



それが現実だと実感したとき

何とも言葉にしがたい

感情が浮かんできました。


今まで、あれだけ死にもの狂いで

勉強してきてE判定だったのに。。。


この短期間でB判定にまでなるなんて


このときには既に、僕の偏差値は70に

近い状況まで来ていました。



この衝撃で、さらモチベーション

上がり、受験当日まで一心不乱

駆け抜けた結果、僕は大阪大学

現役合格する事が出来ました。



もし、あの先生出会うことが

出来なければ阪大なんてのまた

決して受かってはいなかったでしょう。

あの出会いは僕の人生を変えました。



その出会いがあった僕は、本当

幸せ者です。改めて、大学

入ってからこの境遇を思い返し、



『きっと、やり方を知らないだけで

辛い思いをしている受験生達が

たくさんいるんだろうな』と思いました。



そんな過去自分のような思いを

している受験生を一人残らず救いたい。



そういう思いから、先生勉強法

分かりやすくまとめました。



さらに、数々の悩める受験生達の声と、

大逆転した方たちの声を元に、

洗練された勉強法確立しました。



名付けて『KOTA式勉強法



このブログでそれを一からお伝えします!


このブログを見てくれたあなたには、

辛い思いをしてほしくない


今、辛くても必ず最後は笑ってほしい


どん底を一度経験した僕だからこそ、

心の底からそう願っています



そうして今は、非常に恵まれ環境

勉学、遊び、サークルバイト

充実した日々を送る毎日です。



自分頭が悪い、とか要領が悪い、と

思っているあなたでも、正しい方法

勉強すれば超難関大学合格出来ます



自身がそうだったように。次に

逆転合格を掴むのは

あなたです。

これを機に、人生を大きく変えて下さい!