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- Hatena ID
- wonder88
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- 握力
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- Self introduction
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お名前
握力
お年
恋に恋するお年頃
魂の自己紹介
私は理解されたい、理解されたい、そう思ってインターネットで blog か日記かテキストサイトか何かはわかりませんけど続けています。それは最近になってなんとなくそう思ったのです。今はそう思っているだけで明日には違う気持ちになっているかもしれませんが、今とにかく理解されたいという気持ちが強いです。理解されたい理解されたい理解されたいということ。理解というのは私を肯定し、受け入れてほしいということではありません。私の幻想や私に付きまとう影や韜晦、全てを取り払って理解されたい。そう思います。「ああ、あなたの気持ちわかりますわかります。私も若いときはそういった考えを持っていましたよ」そういうあなたの首を今すぐにでもヘシ折ってやりたいです。ありえないです。私は理解されたい理解されたいと思うと同時に、理解なんていうものはまやかしだとも心のどこかで思っています。理解なんていうのは勘違いの積み重ねだと、偏見と誤謬と臆見とに支えられたくだらない妄想だとどこかで思っているのです。インターネットの片隅で”分かりあえないということだけ分かりあって”という言葉を目にしたことがあります。これに元ネタか何かあるのかは知りませんが、美しい言葉だと思いました。私は、私たちは分かり合えないことぐらいは分かり合えるのでしょうか。さらに矛盾しますが私は理解されることを望みながら理解されることを恐れます。私はあなたじゃないので完全な理解はありえないはずです。それに、理解とは消費と紙一重ではないでしょうか。完全に意味のわかる文学、全て説明のつく映画、私はそんなものに心惹かれません。私の全てが理解できるということはそれは私が消費されてしまうのではないかと考えてしまいます。秘密は多いほうがいいのかもしれません。言葉の洪水で誤解の山を築く、それもいいと思っている私もいます。結局のところ私は矛盾を抱えているし、それを解消する気もないのでしょう。理解されたいし、理解なんてないと思っているし、理解されたくないと思っています。『愛=理解』だとするならば私は愛されたいといってもいいでしょう。愛してください。愛してください。その愛は私をやさしく無条件に受け入れてくれるようなものではなくて、透き通ったところで私を理解したところに存在してください。お願いします。私は。