yasudayasuhiro

yasudayasuhiroさんのプロフィール

あんたら妄想作家と 通り魔の共通点は 頭ん中でこねた物語(ストーリー)が勝手に盛り上がって 煮詰まって 時として 悲惨な過ちを 犯しちゃうこと!! (新井英樹『RIN』2巻より )

プロフィール

はてなID
yasudayasuhiro
一行紹介

あんたら妄想作家通り魔の共通点は 頭ん中でこねた物語ストーリー)が勝手に盛り上がって 煮詰まって 時として 悲惨な過ちを 犯しちゃうこと!! (新井英樹『RIN』2巻より )

自己紹介

原野商法1997

 高校の時分、10キロほど離れた高校に通っていた。単線で三両編成の満員電車がどうも好きになれなくて、毎日国道自転車で走っていた。朝は通勤ラッシュ、夕方はセメント工場の粉塵にまみれていた。通勤時なのに通行人はほとんどいなかったと思う。地元学生たちは田んぼの舗装されたあぜ道を走り、サラリーマンたちは意地でも自動車をつかっていた。歩いているのは犬を連れたホームレス南米移民の工員たちばかりだ。間抜けなブレザーが埃を吸い、薄黒くなる。あまりにも広くつくられたショッピングモール。その駐車場には車が何台も捨ててある。それらは全て、何らかの部品を盗まれているか、ガラスが割れている。

 

 高校は丘の上にあった。近くには偏差値の低い大学専門学校ハイテク系の工場が立ち並んでいる。もっと高いところには、障害者介護施設と老人ホームがあるらしい。4車線のバイパスが丘の上を貫いて、向こうの方まで伸びている。ここからは大阪にも名古屋にも2時間ほどで着く。この丘は20年ほどまえに首都移転計画のアピールの一環としてつくられた。たしかこ工事計画の汚職がらみで知事が辞任にまで追い込まれたと思う。彼を糾弾し、社会党系の支持基盤を手に入れた男は、彼を追い出す形で知事に登りつめ、後に政党の首領となった。そして今では隠居同然の生活を送っている。

 

 バイパス高校大学の間には一軒のコンビニがある。そこで私たちと大学生たちは入り浸っていた。こんな環境だから、高校のかわいい娘をボンクラ大学生がイテコマシテいるのではないか、俺たちもお姉さま方にイテコマセラレルのではないか、と毎日妄想していたが、そんな話は全くなかった。かわいい娘を盗られた自分たちが英雄気取りで女を取り戻すだとか、盗られぱなしで悶々とするというようなことも、勿論無かった。それは大学生に色気がなかったからだろうか、それとも私たちに色気がなかったからだろうか。

 

 こんな町の国道沿いにブックオフができたのが1997年だったと思う。私はここで多くのことを学んだ。萩尾望都吾妻ひでお大島弓子山本直樹岡崎京子も私にとってはここの住人である。狩撫麻礼かわぐちかいじ大友克洋ブックオフで知った。『気分はもう戦争』の斬新さと、『AKIRA』の古臭さをほぼ同時に知った。もし自分に「歴史感覚というものがあるなら、それはブックオフにしか存在しない。そして「価値」というものは100円棚とそれ以外棚の差異にしかない。挨拶にしか興味の無い店員、安っぽい黄色、効きすぎた空調、紳士服量販を改造した理不尽内装、光に誘われてやってきた羽虫たちの死骸。それは私にとって97年に「転回」を果した小林よしのりのいう「祖国」であり、同年に劇場版が公開されたエヴァンゲリオンの「ボクはココにいてもいい」場所である。「愛せ!」といわれれば私はココを愛す。そして「守れ!」といわれれば私はココを守るだろう。なぜならココには吐き気がするような甘く薄っぺらい、南の海が広がっているのだから。

 

 国道と平行して川が走っている。その支流の辺りが私の地元だ。祖父はその河原自分の父の遺体を埋めた。そしてその父も同じことを行った。寺に墓があるにもかかわらず、祖先たちは古来からこの河原遺体を埋めつづけた。遺体を埋めるのを止めたのは単に戦争を生き延びることによって、自分土地を手に入れ、それを道路公団転売し、小金ができたからにすぎない。

 

私たちは倫理を持つことができない。伝統を語ることは許されない。勿論、「歴史」も「同一性」もあるわけがない。「平坦な戦場を生き延びること」といわれなくても、現に私たちはそれを生きているのだし、「魂」は天国にも地獄にも行かず、冷蔵庫の捨てられた葦原を今も漂っている。

 

 私たちは、粋がってみることもできるし、レジを打ち、工場で罵声を浴びることもできる。車高を下げ、有線放送に耳を閉じ、テクノを嘯き、南米人と女たちの呪詛をあび、20年来の友人と時間を潰すことができる。コンクリート敷の川底と、区画だけが整備された荒地で、それでもなお「愛国」を呟くこと。俯いて、みじめったらしい顔で「萌え」と唸ること。1997から現在まで。

メールアドレス 1