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- Hatena ID
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昔、ゲームが大好きで毎日、目が痛くなるまでゲームをしていた。
小学生のころと言ったらファミコンで、親指の付け根が痛くなるまでやった。
そのころの夢は、おもちゃ屋になることだった。
勉強もできた。
いきなり9クラスになって、人に酔ってしまい、初日にゲロったのは覚えている。
そのころは、ジュディマリにはまっていた。
高校のころになると、パソコンを買ってもらい、ずっとインターネットをしていた。
まだ、パソコン通信があるくらい昔だったので、ネットはカクカクだったがのめり込んでいった。
なんだか、カッコ良かったからだ。
小学生のころ一番だった勉強も、高校のときは下から数えたほうが早かった。
C言語の授業では、毎回満点だった。
ほぼ座学が無く、手を動かしてやる授業のこの学校に行けて本当に良かったと思っている。
このころは、なんでも出来ると思っていた。
千葉の柏から、栃木の小山まで片道毎日1時間と少しの運転だった。
私はこのころアマちゃんだった。
会社に入ったら、会社の人が仕事の仕方を教えてくれるのだと思っていた。
やったことないことは、誰かがこうやるんだよと近寄ってきて、手ほどきしてくれるのだと思っていた。
3ヶ月後、近寄ってきたのは社長で、肩をトントンと叩かれ首になった。
8ヶ月ほどニートをした。
3ヶ月で首切られたやつが、受かるはずがなかったが、ある日一社だけ面接がうかった。
合格した私は、次の日の午後にまた来てくださいと言われた。
午後からの出社だった私は、朝スロットに行き、連チャンしたため会社には行かなかった。
本当にひどいやつだった。
正社員を派遣するやつだった。(そういうのをなんというか忘れてしまった。)
家に電気の検針にくるおばちゃんの端末の中のシステムなどを作った。
派遣先に、先輩プログラマが1人いて、そこに同じ時期に入ったおれと、もうひとりが派遣された。
もうひとりは、ものすごい出来が悪く、先輩からいじめられていた。
机の下で蹴られたり罵られたりひどいものだった。
いじめは、おれにまわってきた。
おれも派遣先を辞めた。
こんなやつがやっているプログラムに嫌気がさした。
母親を悲しませたくなかったし、なんでもやろうと別の派遣先に行った。
電子部品を外しては付け、撮影し色味などを調整する内容だった。
はんだがつけられるだけで、ただ楽しかった。
今でも交流がある。
こいつは、デジカメの会社を辞め、もっと条件のいいところに転職した。
紹介キャンペーンで10万円もらえるということで、こいつの紹介で転職した。
働く場所なんてどこでも良かった。
ちなみに、紹介キャンペーンの10万円は、スロットで2日でなくなった。
覚えるのが楽しかった。
金が無くて、切羽詰まっていた。
本当にクズだった。
そのころ読んだ本に感化され、なんとかしようと独立することになる。
フリーになってからの初めての仕事、どんなことになるかと思ったが、やることは同じだった。
プログラムを書く。
ただそれだけだった。
やることは、同じだった。
このとき、26歳か、27歳か、そのくらいだった気がする。
残っているやつでフリーになったやつは、おれともうひとりくらい。