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- shou3012
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- 空飛ぶ円盤
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省エネ飛行
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敗戦で廃墟になった東京の空は、青く澄み渡り綺麗であった。富士山が良く見えた。
路上で餓死する人を2度も見た。物資不足、食糧不足が深刻であった。裁判官が餓死したと新聞に載った。
受験期、担任から希望分野を聞かれた。物理と答えると、物理じゃ食えない。農芸化学が良いとの事。理由は、食べ物の研究をするので食べ物に困らない。
農化を知らないままの受験となった。
東京教育大学農学部 農芸化学科入学。校舎は旧近衛連隊兵舎の焼け残り。
物理の未練が消えない。東京理科大学の夜間部の物理科のモグリ学生になる。
昼間と夜学と違う学校に通う。理科大の前身は、東京物理学校。漱石の坊ちゃんの母校である。小生は、坊ちゃんのモグリ後輩か。無断聴講から警察行きでは恐ろしい。ある日、恐るおそる学生部長に事情を話した。すと、「無断聴講大歓迎」との事。おおらかで良い時代であった。
理化学研究所の研究生になり、研究室の面白さを知った。文献調査の方法なども教わった。
新制度の大学院ができた。 有機化学の必要性を感じたので、東京教育大学大学院 理学専攻分野で有機化学を専攻。
都留文科大学に就職。新設の文科系の大学。化学教室は小学校の廃校舎。
秋葉原で50m程の電線を買い、用務員室から廊下を通って教室の実験用スタンドに裸電球を下げる。夕方に張って、日中の学生が居る時には撤去。
昼にはウグイス、夜にはブッポウソウが鳴く風雅な実験室であった。
理研からの縁で、美智子皇后の父君の正田様から奨学金を頂戴した。有難かった、助かった、感謝した。3年間の奨学金で経済面だけでなく、仕事の自信を持てた事、責任からくる叱咤激励が大きかった。感謝の念を忘れない。仕事は生物有機化学。
結婚して経済基盤を築く必要から、日立製作所・日立化成に入社。経済成長が始まる頃、超多忙であった。仕事は新しい合成樹脂の開発。
入社7年目に、ジョージァ州立大学 生化学科から招喚。当時としては目出度い事であった。会社から1年間だけの特別の許可が出て、渡米。 都留文科大の業績が呼び寄せたものであつた。羽田空港に会社や学校関係からの見送りが50名程度。出征兵士の壮行会のようであった。当時、空港に御立ち台があり、壇上から決意表明。「禁酒・禁煙で頑張ります」。 機内の食事にタバコが出た。ヨウモクである(国内では入手困難)。これを吸わない手はない。決意は数時間の内に破れた。
帰社の後、生物有機化学が付き纏って離れない。会社の仕事の途中で退社を決意。
山形大学 教育学部。 所得は、40%減。覚悟の上なので満足。
2年後に母校に戻る様にお誘いを頂いたが、辞退した。
奇妙な細胞の虜になっていた。後々に来る災難を予知できなかった。