ごう

ごうさんのプロフィール

明るく闘病生活を過ごしています!よろしければぜひ見てください!

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ごう
一行紹介

明るく闘病生活を過ごしています!よろしければぜひ見てください!

自己紹介

1993年12月5日まれ 大分県宇佐市出身です。

小学3年生から天津スポーツ少年団野球を始めて小学校6年生時に

大分県4位になり、西日本大会に出場しました。


中学は硬式宇佐ボーイズ所属、1年間所属したが膝を壊して退団、軟骨骨骨折と診断されて膝を手術して、中学野球部所属高校から2校ほど声が掛かり、スポーツ特待生として2009年大分私立柳ヶ浦高校野球部に入部しました。


野球部は全寮制で3月から高校1年生の3月から寮生活を始めました。

平日は朝6時から朝練習が始まり、朝から学校に行き、火曜日金曜日は授業が4現

月曜日水曜日木曜日は6限で終わり次第、練習が始まるという野球漬けの毎日でした。休日は朝から夜まで練習、また朝から夜まで練習試合という毎日で24時間野球に打ち込める環境でした。


高校野球といえば上下関係の厳しさは伝統ですが、私達の高校はかなり厳しかったです。野球部は全寮制だったので、24時間先輩に気を遣わなければならず先輩には口答え出来ない状況だったので理不尽しごきも受けたりしました。本当に苦しくここまでされて野球する意味があるのかと感じたくらい酷かったのですがそのおかげで忍耐力がつき、高校野球の3年間よりキツイことはなかなかありません。


高校野球の厳しさを痛感した高校1年2009年7月11日大会開会式の道中でバス事故を経験大分県別府高速道路で夏の大会に向かう途中にバスの横転が原因で自分の1つ上の先輩が亡くなりました。


バス事故はバスの運転手であった私達コーチスピード違反と小雨で道路スリップやすくなっていた2つの原因で起こりました。


私は奇跡的に無傷でバス事故から生還しましたが、

周りのみんなは血だらけでパニックに陥り、状況を理解出来ないまま

1つ上の先輩は即死、その他も大勢の人が重傷で

その後の野球人生が絶たれた方などもいて未だにあのショックを忘れられません。


幸いバス事故で無傷だった方もパニック障害過呼吸、など事故を思い出すたびに

発作がでてしまい学校を辞めていく人が何人もいました。





運転手をしていたらコーチ現行犯逮捕教師資格を剥奪されて今はどうなっているのかも分からないです。


ただ、16歳という若さでたくさんの方の人生が狂う瞬間を

間近で見てその当時はなにも考えられなかったです。


その後バス事故でショックを受けておりしばらく

実家に帰省して療養していましたがもう一度甲子園に行きたいと思い

寮生活に帰りました。


寮生活に戻った当初はバス事故で落ち込んでいましたが、野球部員全員で

乗り越えようという風潮がありましたが、時間が経つにつれてバス事故の悲しみが

薄れ、先輩から理不尽しごきが始まりました。


先輩のあまりに理不尽しごき(集団リンチや日々の暴力)にストレスが溜まり、

また同級生にも心許せる友人がいなく、胃腸円を5、6回繰り返し高校2年の春に

自律神経失調症にかかり、寮内で倒れ救急車に運ばれてから野球が出来なくなり、

約3ヶ月程実家不登校経験しました。


不登校の間は本当に生きている面白さも理解出来ずに

なぜ自分はこの道を選んでしまったのかと後悔しながら

家のベッドで寝てただ刻々と時間が過ぎるのを待つばかりでした!



高校2年の秋から全寮制の中で特例で私だけ実家から

通わせてもらいながら学校に行き始めたので当然同級生の風当たりは

冷たく、結局高校生活で心許せる友達が出来ませんでした。


プロになりたくて柳ヶ浦高校に入部しましたがベンチ入りしたのは高校1年の秋に

1回だけでそこから野球をまともにやれていません。


プロになりたいという夢は叶いませんでしたが、高校野球を3年間続けてたのは良かったです!


小学校中学校とある程度自分の思い通りに世界が動くと勘違いして

高校に進んだ私にとって高校野球という理不尽場所

先輩にしごかれ、同級生とは馴染めず、プロになるという夢どころかレギュラー

すらなれない何1ついいことがなかった高校時代経験出来たことは

財産になりました!


小学校中学校天狗になっていた私に人生はそんな甘いものではないと

教えてくれた期間がまさに高校時代の3年間です!



高校野球が終わり、当時就職と進学に迷っていましたが

高校野球の全寮制という小さな組織で苦労したので都会に出て大きい組織で

世の中を学びたいと思い大学進学を決意しました。


しかしここで思わぬ落とし穴にハマりました。


自分達の高校スポーツ高校だったため、

まともに勉強をしたことがなく、高校3年までで

ほぼ中学範囲しか学習していなく古文漢文物理地理などを

ほとんど受けたことがないという状況でした。


センター試験」という言葉すら高校3年当時に

知らなかったので一応、現役で福岡大学合格を目指したのですが

推薦、A方式、一般受験など様々な方法で挑戦しましたが結果全部ダメ

浪人することを決めました。

高校卒業後、予備校探しを始めたのですが高校時代勉強をしていなく

偏差値が30ちょっとしかなかったみたいで某予備校から

親切に断られ、自分みたいな所謂落ちこぼれからエリートまで幅広く

受け入れてくれる四谷学院北九州校に入学しました。


四谷学院は個人のペースに合わせてくれるマンツーマン授業と

学力が近いもの同士でクラス編成をしてくれる少人数授業の2つから

成り立っていて自分みたいな落ちこぼれも周りの目を気にせず勉強が

出来ないことさらけ出せたことは四谷学院入学して本当に良かったと思います


ただ自分のペースでやらせてくれていたので

全て自己責任なのでやる気がなくなり授業を

サボり始めたり、友達と話して現実逃避をする友達が

次第に増えたことも事実でした。


からその中でライバルを1人見つけてその方に食らいついていくようにし、信用できる先生を2、3人見つけて勉強のやり方を教えてもらい、また目標などの設定の仕方も決めてもらいました。


教えて頂いた勉強のやり方とは

まずは1日の目標、1週間の目標、1年間の目標を決めて

その日1日にやることをまずは徹底してやる!


1日の積み重ねで1週間でどれだけ進歩しているか確認する、

また課題が見つかり、1日の目標に落とし込む!

1週間の積み重ねで1年間のゴールが見えてくる、ゴールが見えると

逆算してさら効率化を図り、1週間、1日の目標に落とし込む!



入校当初の4月は勉強の仕方も分から

中々学力が上がらず苦しかったですが、

この勉強方法を身につけ、7月くらいに要領を掴んでから

偏差値が一気に20くらい上がり夏には現役時代に憧れていた

福岡大学のA判定が出たので志望校明治大学まで

あげて2月まで突っ走りました。


実際受験中に感じたことは根拠のない自信を持っている人は

成績が伸びやすいのかなと思いました。


自分自身もそうでしたが根拠のない自身を持ってましたし

根拠のない自信が持てるということはマイナス発言が減り、

ポジティブ思考回路を使うことが出来ているのだと思います

また1日、1週間、1年とそれぞれのスパン目標を定めていたので

やることが明確かされ勉強に嫌気がささなかったのも予備校時代

勉強が上手くできた要因だと思います


成績が伸び悩んでいた人達客観的に思い返してみると

ネガティブなことを言っては現実逃避したり、志望校など

遠い目標ばかり気にして、目の前の課題を整理出来てなかったのかなと思います


その点では野球で反復練習などを積み重ねて

鍛えた忍耐力が大きくいきたと思います


野球と勉強はやっていることは全く違います

基礎の反復をこなすことは両方に共通していたので

野球が勉強に活かせたことは野球をしていて良かったことだと思います


そして話を戻します落ちこぼれ自分がどこまで偏差値の高い

大学に入り周りをビックリさせれるかが

自分モチベーションになったので学力

上がれば上がるほど志望校が上がり自分自身

やる気も上昇しました。


結果2月の受験の結果は福岡大学

商学部経済学部スポーツ学部は全部

受かりました。


明治大学商学部は落ちましたが落ちた要因は

目標を完璧に明確化出来ていなかったのと

目標から逆算するプロセスを怠ったことです。


勉強が忙しいことを言い訳にして、

また一生懸命やっていれば結果は出るだろうと

自分の頭で考えぬく事を妥協したため

実力以上の結果が出なかったのかなと今思えば

思います


こうして1年間浪人をした後に福岡大学商学部商学科に入学しました。


なぜ福岡大学経済学部スポーツ学部商学部合格して

商学部入学たかというとより実践的な勉強が出来ると予備校先生アドバイスをもらったからです。


高校野球スポーツは少し離れたかったですし、経済学は話を聞いてあまり興味が

湧かなかったので商学部を選んだのですが実際に入学してみると

経営マーケティングなど自分の興味のあるジャンルを学べて今は商学部に入って良かったと思っています


しかし、商学部に入っての最初の1年間は高校野球と浪人との反動

とにかく色々遊んでしまい、勉強にあまり励んでいませんでした。


一応、入学直後に日商簿記三級などの資格も取りましたが、とりあえず取っただけなのであまり意味もなくやりがいを感じない毎日でした。


そんな毎日を過ごしている中で1つの転機が訪れました。


それが大学2年生にあったゼミ選びです!


福岡大学商学部のゼミは行きたいゼミに応募し

書類選考があり、合格すればゼミに入って2年半ゼミ員として活動できるという

大学時代の大部分を占める1つのイベントがありました。


自分経営に興味があったので合力知工教授のゼミに応募し、

無事書類選考を通過し、現在も合力先生のゼミ生として活動しています


浪人時代大学合格するといった明確な目標があったのに対し

大学は何を目標にしていいか分からずその中でゼミに入れたことは

なにか1つの目標に向かっていくことをゼミという組織で取り組めるという居場所

手に入れることが出来ました。


また合力先生からポジティブシンキングを学び、

元々ネガティブだった自分ポジティブに考えることが出来るように

なり、また結果的に今の病気ポジティブに捉えることが出来ているので

ポジティブシンキングを身につけることが出来たことは大学時代に手に入れた

大きな財産です。

合力先生の著書である逆転の発想は今でも私の教科書になっています


ゼミでは福岡県の銭湯活性化プロジェクトを今も行っており

当初はやりがいを感じていたのですが、次第にそのプロジェクトは先輩が

土台を作ってくれたものであり、自分自身で何かを作り出したいという思いが

強くなり、ゼミ活動に魅力を感じていたものの何処かで物足りなさも感じていました。


それから1年後の2015年8月大学3年生の時にゼミ中の1人が東北にボランティア

行くと言い出し、自分も東北大震災以降1度も東北を自分の目で見ていなかったので友人と東北の福島県宮城県岩手県ボランティアに行きました。


自分自身インターンシップになぜ行かないと行けないかという

疑問をずっと持っていて、大学3年生の就活間近にインターンシップ

に行くという風潮にのせられるのが嫌でした。


インターンシップという会社に用意された場所

会社業務雰囲気などを味わうことは出来るかもしれませんが

それ以上に得るものがあるのか、その時間を他に回せないのかを考えていました。


またインターンシップで実際に働いているのにお金が貰えない

無給インターンシップにも疑問に思っていました。


もちろん有給インターンシップなどもありましたが、

実際に労働と対価にお金を貰うのにもかかわらず無給インターンシップ

労働と対価に企業の側面を少し知るという現状に納得が出来ませんでした。



そして周りの方に話を聞いても自分の中であまり行く意味

見出せなかったのでそれならば一度行きたかった東北の復興支援に行き、

自分の頭で出来ることを考えてみようと思い一歩踏み出しました。


実際に行ってみて分かったことは思った以上に

復興支援が進んでおり、自分達が手伝うことはあまり

残っていないということでした。


テレビで見ているとまだまだ東北はやることがいっぱい残っていて

自分もなにか手伝うことがあるのかなと思っていたのですが、

実際には街づくりもだいぶ進んでいて当時の被災地

だいぶ片付いていて、東北大震災悲惨さを思い出させる景色

ほんの一部分しか見れなかったのが現実です。


もちろん、街づくりが進行していることは凄くいいことで

実際に自分ボランティアしに行った結果ボランティアすることはなかったですが

まだまだ東北でやることは残されていて日本人として役に何か出来ることはないかと

考えるようになりました。



そこから東北にボランティアに行った時にお世話になった人から

繋がりで土生偕子さんと知り合ったのをキッカケに同年10月14日松永武士さんが福島で経営するブランド「KACHIUMA」の工芸品である大堀相馬焼を福岡に広めるイベントである

「福島から世界へ ~過去、現在、そして未来~」を開催させていただきました。


実際に私は東北に行き、現地を見ることで感じることは色々ありましたが、

行かなければ分からないことですし、九州にいると東北の情報ほとんど

入ってこないのが現実です。


そこで福岡の方、特に若い学生に東北の現状を知ってもらうことを

目的とし、また福島の工芸品である大堀相馬焼を広めたいと仰っていた松永武士さんのお手伝いをしたいということでこのイベントを手伝わせていただきました。


実際にイベントは60人ほどの集客でしたが、イベント責任者を任せて頂き

イベントの内容を1から考えて、1から作るという経験をさせていただきました。


この時やらせて頂いたイベントの内容としましてはまず学生視点から東北を見た感想スピーチして伝えること、そして東北の工芸品を福岡に知ってもらうために松永武士さんからお話しして頂きました。


最後松永さんを含め、福岡で東北に復興支援をしてくださっている方々の

氏名

野間

性別

年齢

22歳

誕生日

12月5日

血液型

B型

職業

学生

学校

福岡大学

住んでいるところ

福岡県

生まれたところ

大分県

特技

高校まで野球をしていました