宮崎滔天

宮崎滔天さんのプロフィール

中国で生活し始め10年以上。一文無しで上海にたどり着き、ゼロからスタートして今に至る。

プロフィール最終更新日:

はてなID
koryan2001
ニックネーム
宮崎滔天
一行紹介

中国生活し始め10年以上。一文無しで上海にたどり着き、ゼロからスタートして今に至る。

自己紹介

北海道稚内出身

のびのびと割合素直に小中学校時代を過ごし、

高校時代自己存在意義を探し始め、少しへそ曲がり姿勢を身につけた。

受験勉強もせずに大学にいこうとしていて、願書提出しようと思った頃にはもう閉め切られていた。

もっともその頃は受かるところもないだろうという成績でしたが。

漠然田舎にいても仕方ないと思い、神奈川大学に通い始めた友人のところに転がり込み数ヶ月世話になる。

その後住み込み警備員仕事を見つけ、東北自動車道の警備で群馬館林で数ヶ月タコ部屋生活

まさに社会の吹きだまりという感じでしたね、いろんな事情のある人が集まってた。

新米なので先輩方からいろいろ面倒見てもらい、楽しかった。

いつまで遊んでいてもしょうがないので翌年、一度実家に帰り親父に頼んで、予備校授業料と毎月の生活費をだしてもらい、浪人生活にはいる。

1年間やるだけやって、入れるところに入ろうという決意のもと、

卒業時は赤点すれすれだった成績から早稲田二文に合格するまで引き上げられたのはひとえに同居人として毎日ご飯を作ってくれた高校時代の友人のおかげだ。

入学手続きのために親父に送金を依頼するも、敢え無く断られる。

母の実家借金し、入学手続きと同時に休学手続きをしていきなり休学、

ちょうど筑波博があったので住み込みアルバイトをし、

半年借金を全部返してすっきりして学生生活を始める。

当時は親父を恨んだが今となってはそれが私の基礎を作ってくれたのだと思う。

大学では昼間仕事して夜授業なので、

授業中すぐ寝ちゃうんですよね。疲れて。

先生講義も単調で睡眠効果抜群だったし。

で、他人には「いやあ勉強が大好きだったので大学で7年在籍させてもらいました」

というけど本当は試験の点数がとれなかったんです。

卒業後も残って苦学生の後輩を支えることで自分卒業させてもらえたことに対する恩返しだと思い、また7年その仕事を続けた。

そろそろ自分人生を始めようかと思い、東京を去り一度稚内へ帰る。

徒食もなんなのでピザ宅配アルバイトをしながら給料の一部を家に入れる。

台湾から観光に来たおじさんと知り合い、おじさんが帰った後すぐに語学留学の願書を送ってくれたので、台湾に行く。

それまでは中国台湾がどう違うのかも知らないような若者だった。

やはり現地の人と交流しないとわからないですね。現実味がない知識は身に付かない。

1年間日本語教師アルバイトをしながら台湾中国語勉強した後、バイト先の社長に「一緒に上海に行って会社作らない?」と誘われ、翌月上海へ。

会社に食事付きで住み込み給料は当時日本円換算で5万円に満たないほどだった。

でも初めてのことばかりで仕事は楽しかった。

自分一人寝るところと食うものがあってたまに日本に帰れればそれだけで何の不満もない。

そのうち中国人女性とつき合うようになり、結婚し、子供もうまれ、店を始め、その店のエリアが急に脚光を浴び、家を買い、車も買い、あちこちから出店勧誘のお声をかけていただくようになり、それで烏鎮にも店を出し、北京、天目湖にも店を出すことができました。

日本飛び出して初めてわかったことがいっぱいある。

日本離れて10年以上経つから、あるいは今の日本生活している日本人見方や考え方に違いがあるかもしれません。

今とても思うことは、ナニジンはどうだ、という固定観念に縛られすぎているんじゃないか、と。

ナニジンだろうとそういうヤツも居ればそうじゃないヤツもいる。バカもいればかっこいいヤツもいる。

マスコミはちゃかした記事見出しじゃないと読んでもらえないのでそういう記事ばかり取り上げますが、

メディアだけじゃなく現実のナマのナニジンに接していただきたい。

結構共感できるヤツ、いるよ。

性別

職業

中国茶ショップ、茶館の経営、など

学校

稚内南小、南中稚内高校中央ゼミナール早稲田大学台湾国師範大学

住んでいるところ

上海

生まれたところ

稚内

趣味

植物ウクレレ中国茶珈琲焙煎

言語

日本語 中国語 ちょっぴり英語